思い出あふれる白ジャケットを手放した日

見た目と装い

歳を重ねると、いろいろなものが少しずつ変わっていきます。そう、いちばん身近なのに、不意打ちしてきたもの——それが「服」でした。

「え、誰?」と、姿見の前で

毎朝の着替えでも、ふと感じることはありました。でも、いちばんはっきり突きつけられるのは、季節の変わり目です。衣替えのついでに「まだ入るかしら」と、サイズチェックのつもりで袖を通した、その瞬間。

鏡に映った自分を見て、思わず心の中でつぶやいてしまいました。「え、誰?」。そこにいたのは、その服を着ていた”記憶の中の私”とは、どこか違う人でした。

ふんわりと甘いブラウス、リボンやフリルのついたワンピース、襟元が大きく開いたカットソー。かつては何のためらいもなく着ていたのに、今はなんだか、服だけが浮いて見える。理由をたどっていくと、行きついたのは顔映りと、肌の変化でした。若い頃のはりや血色が、服の甘さをちゃんと受け止めてくれていたのだと、今になって気づきます。

15年連れ添った、白いジャケット

なかでも忘れられないのが、一着の白いジャケットです。

人前で話す機会があって、少し値は張ったけれど、思い切って買った、光沢のある白。それからというもの、きちんとした場所へ行くときは、迷わずこのジャケットを選んできました。かれこれ15年。長いあいだ、私のいちばん頼れる”よそ行き”でいてくれました。

その白いジャケットとも、今年の春、お別れしました。もう肌に馴染まなくなっているのを、自分でも分かっていたのです。畳んで手放すとき、袖を通してきたいくつもの場所や、あの日の緊張や誇らしさが、ふわりとよみがえってきました。服を手放すというより、長いあいだ一緒に頑張ってくれた相棒に、そっとお礼を言うような気持ちでした。

寂しさの、その先

正直に言えば、寂しかったです。コーヒーを卒業したときほどではないけれど、じんわりと、胸の奥のすき間に風がすうっと通るような。

今は、かろうじて大丈夫な服を、だましだまし着回していて、新しい”似合う”をまだ見つけられていません。それでも、少しずつ気になり始めたものがあります。麻や綿といった、自然素材の服。肩の力の抜けた、ありのままを生きられるような装い。ああいうのが、今の自分には似合うのかもしれない。そう思いながらも、どこで探せばいいのか、まだよく分からなくて。できれば試着して、鏡の前で「うん」とうなずいてから、選びたいのですけれど。

街を歩くと、見え方が変わった

不思議なもので、”似合う”を探し始めてから、街を歩くのが少し楽しくなりました。

若い頃は、まったく目に入っていなかったのですが、すれ違う年配の方の中に、その方の年齢にすっと似合った装いの方を見つけると、思わず見とれてしまう。「なんて素敵なんだろう」と。あの方は、いったいどうやって、あの”似合う”にたどり着いたのでしょう。長い試行錯誤があったのかな、それとも——なんて、勝手に想像したりして。

歳を重ねると、見えなくなるものもあるけれど、見えるようになるものもあるのですね。街の風景の中に、こんなにも素敵なお手本がいたなんて、少し前の私はちっとも気づきませんでした。

“似合う”を探す旅の途中

「似合う」の意味は、歳とともに、静かに移り変わっていくのだと思います。若い頃に似合ったものが、今は似合わない。それは少し寂しいけれど、裏を返せば、今の私にこそ似合うものが、どこかにきっとあるということ。

まだ、その一着には出会えていません。答えも出ていません。でも、探している途中のこの時間も、案外わるくないな、と思うのです。街で見かけた素敵な方を道しるべに、少しずつ、新しい自分と出会い直していく。

これもきっと、老いを楽しむ練習の、ひとつなのでしょう。

あなたには、そっと”卒業”した服と、これから出会ってみたい装いが、ありますか?

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