ご褒美だった霜降り肉が、食べられなくなった話

からだと習慣

若いころ、A5ランクの鉄板焼きは特別な日のごちそうでした。誕生日、クリスマス、友人とドレスアップして出かけた、ちょっと贅沢なディナー。自分のお給料で良いお肉をいただくたび、「ああ、大人になったなぁ」と実感したものです。霜降りのお肉は、私にとって長らく”ご褒美”の象徴でした。

おうち焼き肉で、あら?

最初の異変は、家族でおうち焼き肉をした日のことです。パートナーが奮発して、良いお肉を買ってきてくれました。ところが食べ始めて間もなく、なんだか気持ち悪くなってきて、結局2〜3枚でお箸が止まってしまったのです。そのときは「今日はちょっと体調が悪かったのかな」くらいに思っていました。

ひと口目で、わかってしまった

しばらくして、パートナーの実家で、お義母さんがさしのたっぷり入った、それはそれは高そうなお肉を焼いてくれました。正直に言うと、焼ける音を聞きながら、食べる前からもう予感がしていたんです。「きっと、ひと口しか食べられないな……」と。

ひと口目。多分、ものすごくおいしいお肉だったと思います。口の中でとろけて、噛まなくてもいいくらいの柔らかさ。20代の私なら、目をつぶってしばらく唸っていたはず。口角が目じりにつきそうなくらいの笑顔で、頬張っていたと思います。

でも、50代の私は違いました。とろけた脂が流れていくのを、胃が押し返そうとしている。口に含んだ脂を、飲み込むべきか迷いながら、すこーしずつ飲み込む。きっとそのときの私は、目は半開き、への字口で泣きそうな顔になっていたと思います。

ああ、私はもう、良いお肉を食べられない体になったんだな——そのとき、はっきり理解しました。

でも、意外と寂しくなかった

コーヒーを卒業したときは、あんなに寂しかったのに。不思議なことに、霜降り肉とのお別れは、意外とあっさりしていました。

代わりに選ぶようになった赤身のお肉が、これがとてもおいしく感じられるんです。数枚いただけば、心から満足。それと「太る原因がひとつ減った。ラッキー」——そう思えたことも大きかったのです。私は燃費の良い体を手に入れられたような、いわばアップグレードしたような、そんな気分でした。

おいしいと思えるものが変わっても

今の我が家の食卓は、できるだけ国産の素材と添加物の少ない食品を選び、和食中心の健康的な食事が並ぶことが多いです。

そして、特別な日には今もおしゃれをして、ちょっと贅沢なお店へ行きます。おいしいと思えるものが変わっても、素敵なお店で食事をする楽しみだけは、やめられません。最近は、懐石をゆったり時間をかけていただくのも、好きになってきました。

ご褒美の定義が、変わっていく

霜降りのお肉は、もう私のご褒美ではなくなりました。でも、ご褒美がなくなったわけではないんです。数枚の赤身に心から満足できること。ゆっくり流れる食事の時間。ご褒美の中身は、歳とともに姿を変えていくものなのかもしれません。

あなたの”ご褒美”は、昔と変わりましたか? 変わったとしたら——それはきっと、老いを楽しむ練習が、ひとつ進んだということだと思います。食も人生も同じ。幸せの形は変わっていくのですね。

年齢によるからだの変化を受け入れながらも、ときどき抗います。そんな体験エッセイを他にも綴っていますので、よかったらお楽しみください。

タイトルとURLをコピーしました