「やりたいことをやろう」——人生の折り返し、50代の同窓会で

縁とつながり

先日、中学時代の同級生たちの集まりに行ってきました。きっかけは10年近く連絡を取っていなかった友人からのLINE。「どう、元気してる?」以前はよく食事やお茶にいったりしてたけど、いつの間にか疎遠になってしまった相手。私もちょうど「どうしてるかな?久しぶりに連絡しようかな」と迷っていたところでした。友人はずっと地元の子たちともつながっていて、「近いうちに同級生たちの集まりがあるから参加しない?」と誘ってくれたのでした。

正直に言うと、少しだけ身構えてしまいました。というのも参加する子たちの名前を聞いて、まったく記憶にない同級生が何人かいたからでした。何を話せばいいの?と。でも、それなりに歳を重ねて、人と話す力も昔よりは育っているはず。「新しく出会いなおすのだ」と思えば、それはそれで楽しめるかも——そんな気持ちで、当日を迎えました。

居酒屋で、誰が誰やら

集合場所は、駅前の居酒屋。着いてまず困ったのが——誰が誰か、分からない(笑)。薄暗い店内に、例の老眼も手伝って、お顔がよく見えないのと、やはり記憶のない顔ぶれも並んでいる。

それでも、緊張はまったくありませんでした。気合を入れておしゃれをして、家の鏡の前で「うん、50代には見えない」と自分に暗示をかけてきましたし(笑)。それよりも、久しぶりに会う友人がどんな50代になっているのか、ワクワクのほうが止まりませんでした。

席に着けば、あちこちで老眼ネタが勃発。スマホをすっと遠ざけて見るおなじみの仕草に、妙な連帯感が生まれます。話題はもっぱら、子どものことと、学校時代の思い出話でした。

「やりたいことを、やろう」

その夜、何人かが口にした言葉があります。

「先が見えてきたから、やりたいことをやろうと思って」

——それ、私も最近、口にしてきた言葉でした。人生の残り時間がうっすら見えてきたからこそ、やりたいことを先延ばしにしない。私自身、その気持ちに背中を押されて、大きな決断をしたばかりです。同じ教室にいたみんなが、同じ人生の季節に、同じことを考えている。なんだか不思議で、心強くて。

すでにお孫さんがいる子もいました。「孫が可愛くてね」と話すその笑顔が本当に幸せそうで、聞いているこちらまで幸せのお裾分けをもらいました。子どもが大学生になった、社会人になった——そんな報告を聞きながら、みんな、人生の役割をひとつずつ、しっかり果たしていっているんだなあ、と。

「次に会うときは、私たち、もう60代だね」「こわいねえ」なんて、笑い合ったりもして。

子どもの頃の面影はちゃんとあるのに、その上に、それぞれが歩んできた何十年ぶんの経験が重なっている。きっと、いろんな苦労もあったはずです。それでも、この夜のこの瞬間だけを切り取れば、「みんな、良い歳の取り方をしているなあ」と、素直に思えたのでした。

記憶がなくても、根っこは同じ

さて、心配していた「記憶にない同級生」との時間は、どうだったかというと。

結論から言えば、記憶は最後まで戻りませんでした(笑)。でも、それがかえって良かったのです。共有する思い出がないぶん、過去にとらわれずに、「今」の話ができました。仕事のこと、体のこと、これからのこと。初対面のようで、初対面ではない、不思議と深い話。

そして気づいたのです。記憶はなくても、同じ土地で子ども時代を過ごした者どうしにしかない、”魂の根っこ”のようなものは、ちゃんと同じでした。出会いなおしは、思っていたよりずっと、あたたかいものになりました。

終電で、ひと足お先に

そんな楽しい夜でしたが、実は私、二次会の途中で失礼しました。コーヒーを卒業してからというもの、夜10時に眠る体になっていまして。だんだんまぶたが重くなってきて(笑)、終電に揺られて帰りました。

帰り道、車窓を眺めながら思い返していました。みんな、愛おしそうな目で昔のことを語り合っていたな、と。それぞれ別々の人生を歩んできたのに、またこうして集まれる。それって、ほんとうに奇跡のようなことだなあ、と。

そして、ふと顔が浮かんだのです。長年会っていない友人の顔が。——今度は、私から誘ってみよう。

縁は、結び直せる

歳を重ねると、縁は自然と細くなっていきます。それぞれに仕事や家庭があって、いちばん忙しい季節を、みんな懸命に生きてきたのですから。でも、細くなった縁は、切れたわけではありませんでした。勇気をひとさじ足せば、また結び直せる。それどころか、記憶のない相手とさえ、新しく出会いなおせる。

これもきっと、老いを楽しむ練習の、ひとつなのだと思います。

あなたにも、しばらく会っていない、懐かしい誰かはいませんか? ふとお顔が思い浮かんだ、その方と、またご縁がありますように。

タイトルとURLをコピーしました